
上山徹郎(うえやまてつろう) 1973年 2月15日 埼玉県に生まれる 兄は「怪奇警察サイポリス」「ツマヌダ格闘街」の上山道郎。初期の絵柄の雰囲気が似ているため作品を間違われることがある。 名義が違うため作品紹介には記載していないが、BOOTHにて「手前屋鬱郎」名義でほしママを連載中。 |
ROBOHEIGHTS ESSAYより抜粋
- チャイヨープロが独自にデザイン・造型したという新しいウルトラマンが、意外なほどかっこいい(2004/11/29)
- 車田マンガに描かれた数多くのバトルの中で、ひとつの頂点とも言えるのが、「B’T X」終盤(第14巻)に於ける、鳳と凱との戦いだろう(2004/11/22)
- マンガ版「ジャイアントロボ」は、脚本を今川泰宏、作画を水田麻里(小曽根正美)が担当し、コミックGENKi誌上に連載された。注目すべきは、なんといっても水田の絵である。水田は本来アニメーターであるため、その作風は一般的なマンガ家のものとは異なっている。「不馴れな割には頑張っている」などという消極的な意味では、もちろんない。別の業種を経たからこそ培われた、高度な技術がそこにある。(2004/11/20)
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TVアニメ「NG騎士ラムネ&40」は、我が青春の思い出として、忘れ得ない作品である。
自分はマンガ家になるのだろうという漠然たる予感だけはあったものの、それを実現させる道筋がわからない。道を見つけるための知力も、進むための行動力もなかった。私も、あの珍妙なガッコーに群れている連中と同じく、無能だった。
八方塞がりの私を支えてくれたのは、寛容な家族と、TVアニメだった。
特に熱中したアニメが、「NG騎士ラムネ&40」である。
私は毎週TVにかじりついて番組を観た。ラムネスたちの活躍に興奮し、菅沼栄治や斉藤卓也のアートに喝采を送った。彼等を声援し、感情移入している間だけは、熱くなることが出来た。
結局、私はマンガ家になった。十年間、マンガ界の末席にちんまり居座るだけの冴えない存在ではあるが、どうにか一社会人として生き延びている。学校から逃げ出し、自ら学ぶために何の努力もしなかった私が、である。大袈裟だと笑われるかも知れないが、「ラムネ」こそが私にとっての学校だったのだと、今は思う。
架空のアニメキャラが、友達でいてくれた。顔も知らぬ大勢のスタッフが、師となってくれた。熱血しなければ何も始まらないのだと、私に教えてくれた。(2004/11/10) -
己の道をひたむきに進む男は美しいものだが、そういう男の姿を、松本レオほど可愛らしい筆致で描き出せるマンガ家は、他にいないだろう。(2004/10/25)
- 私は「KEY THE METAL IDOL」の大ファンなのである。特に第14話「システム」を偏愛しており、もし「キィの14話を繰り返し観たひと選手権」が開催されたならば、優勝を狙えるくらい観ている。(2004/10/11)